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  • 執筆者の写真: 小鳥 原
    小鳥 原
  • 2024年6月25日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年7月8日

駅を出てすぐ滑れる

比婆に高尾原スキー場誕生


理想的なスキー場が県北に再発足し、いまからスキーヤーのあこがれの的になっている。比婆郡八鉾村高尾原スキー場(旧称道後山駅前スキー場)は、ウインタースポーツの花形スキーが山間部に限られ、一般スキー愛好家に不便をあたえていたので、24年末に地元八鉾郵便局長織田素・道後山薪炭商事平尾久の両氏が、列車から降車すればすぐ滑れるスキー場の開設を計画していたが、本年から高尾原スキー場としての整備も一応完了したので国鉄並びに広島・岡山・大阪の交通公社関西支社の全面的な協力を得て今冬から花々しく新開設することに決定した。

同スキー場は芸備線道後山駅裏にあって緩急のスロープは変化にとみ初・中級はもとより上級者にも十分満足できる。積雪量は平均60センチで12月下旬から3月中旬までがスキー可能期間、広島または岡山両市からの日帰りも可能で5,6時間はスキーを楽しむことが出来る。シーズン中のスケジュールはスキー場開き・スキー祭(カーニバル)・スキー学校・講習会ならびに競技大会が企画されている。スキー場の利用設備は次の通り。

【宿泊】収容定員:185名、宿泊賃:1泊2食付が280~400円

【貸スキー・クツ】貸スキー30台(1日100円)貸クツ10足(同)

その他に通信通話の施設・休憩所・食堂・娯楽設備なども完備している。

中国新聞1952年(昭和27年)11月25日付


高尾原スキー場のスケジュール決る


芸備線道後山駅で下車、ただちに滑れるという交通の便に恵れ、そのうえ諸設備の完備した新設スキー場として新春から開設された比婆郡八鉾村高尾原スキー場のシーズン中のスケジュールは次の通り決定した。

1月18日:スキー場開き(スキー祭)、25日:小中学校スキー競技会、2月8日:女子スキー競技会、22日:一般スキー競技会、3月1日:スキー講習会ならびに全日本スキー連盟バックテスト

中国新聞1953年(昭和28年)1月18日付


雪踏んで裸の土人も

高尾原のスキー祭り


芸備線道後山駅裏高尾原スキー場では18日午前11時からスキー場開きを行った。この日降雪30センチ、良好のコンディションではなかったが、全日本スキー連盟指導員中島孝美氏をはじめ豆スキーヤーもまじえて約200名が参加。地鎮祭を皮切りに午後1時からはスキー祭に移り、呼び物の仮装行列では腰ミノだけで裸の土人も現れ、紅白リレー・パン食競争・宝探しなどで終日にぎわった。高尾原スキー場は比婆郡八鉾村の織田素・平尾久の両氏が昭和25年から自費を投じて今シーズンにやっと諸整備を完了したもので、交通の便がよく夫人・子供にも気軽に滑れるスキー場のニューフェイスとして登場したものだがスキー連盟中島氏が「このスキー場のどのスロープでもこなせる人は相当高い技術の持主です」と語っているように変化に富んだスロープも持っている。

中国新聞1953年(昭和28年)1月22日

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