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執筆者の写真小鳥 原

道後山千一夜 スキーシーズン開く



押寄せた700人

世をあげてミンシュの春、現実は吹雪とカラッ風に身が切られる寒さでも、遊びとなればサイフの底をはたいたミイちゃん・ハーちゃんがジャズに浮かれたステップを長いスキーにはきかえての乱倒乱舞。ここ広島県の雪のメッカ、道後山はまさにてんやわんや。2日続きの休日と目白おしに押しよせたスキーヤーは700余名。どんなにつめても300人ほどの収容力しかもたぬヒュッテはそっくり引揚船の中を思い出させる。"どうせひと晩じゃ、しんぼうしよう"と無理強いにもぐりこんだ新館旧館バブストの名作『上から下まで』の舞台間そっくりの3階は畳2枚に8人の割、タガイチガイに仲よく反対側の人の足を顔の両脇にのせてそれでも結んだ夢が楽しいという。恐るべきは流行とこそ申すべきか。

山のペンギン鳥

ヨタヨタと腰をふって雪の上をとびもすべりもせずに歩くのは南極のペンギンばかりと思ったが、きてみれば道後山にもペンギンが行儀のよい行列。吹きさらしの稜線の上に首をちじめてたたずんでたえず身ぶるいをしながらすべる背中をながめている。自分ですべればころぶし、ころべば冷いし、いっそのこと寒いのならくたびれぬようにというわけか。零下10℃の吹雪の山で手足ばかりか頭もしびれてしまったらしい。

ガンジー現わる

心頭加熱すれば雪また熱しか、吹雪の稜線に躍り出たフンドシ一つの元気者、あざやかな回転に水きわだった斜面乱舞。頭にターバンをまいたこの氷上のガンジーはマドロスパイプをくわえて鼻唄だ。つづいて赤いもすそをひきずっておたいこむすだ田舎娘。証城寺のタヌキにエノケンといずれおとらぬスキー達者の仮装競技。まいたミカンを追って飛えんのごとく岩間をかすめてすべるこの連中、ミイちゃんハーちゃんならぬ日本一二流の選手たちである。

山に陽はおちて

陽はおちて十六宵のおそい月が雪明りの山一めんに白銀の光をなげヒュッテの窓にあたたかい夜のまどいのさざめきがきこえるころ。しーんと静まった山の斜面になおもあきずにすべりまわる熱心党。カチカチにクラストした雪間にバリバリとスキーのとぶ音が神福な樹氷にこだまするころ下のふもとの八鉾村三坂集落では宿にあふれたスキーヤーが夜の10時ちかく、まだ一夜の宿をたずねて民家の戸をたたいていた。

中国新聞1949年(昭和24年)1月20日付

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