更生の道後山道場小鳥 原2024年10月19日読了時間: 1分更新日:1月2日山を愛するハイカーのため瀧洒な憩いの場所として長年親しまれてきた広島鉄道局御自慢の道後山「山の家」が来る11月1日からは「道後山道場」と名前を変え錬成および皇国勤労観念涵養をめざして再出発するもので、今後は自由勝手な個人の登山宿泊は許されないで山の霊気に鍛えようという10人以上の団体に限って泊める朝日新聞1943年(昭和18年)10月21日付
1949年道後山スキー場大盛況関連ゲレンデの条件は絶好 備北道後山に集うスキーヤー群 広鉄の肝いりの初スキー列車は15日の夜明け4時10分雪の道後山に到着した。4両連結の車からは九州・山口方面からも参加した450余名のスキーヤーがぞろぞろ下車、待機中のバス4台が3回にわたって三坂部落まで送るという大混雑ぶり...
20世紀スポット<5> スキー場の草分け道後山 滑る楽しさ教え70年県内スキー場の草分け的存在と言えるのが比婆郡西城町の道後山(1,269メートル)だ。シーズン中約3万人が訪れたバブル時代に比べると、少なくなったが、多くのスキーヤーを育てたその地位は揺るぎない。 日本でゲレンデスキーを始めたのは大正末期から、と言われる。その早い段階で県内に...