小奴可駅長更迭
箕浦小奴可駅長は塩町駅長に、後任には中村吉郎氏来任した。
新声新聞1947年(昭和22年)7月16日付
東城駅新助役に
着任以来4年半、東城駅の至宝、安藤信隆氏は今回助役に昇進登場。
新声新聞1947年(昭和22年)10月12日付
保線の区発展
東城保線区の電化機械工場成り、12月20日朝、神式厳粛なる開場式吹子祭と山峡会演芸部主催忘年余興大競演会を催し盛会であった。
新声新聞1948年(昭和23年)1月1日付
東城保線区分区対抗野球
野球熱旺盛近時長足の進歩を示す東城保線区では5月29日午前9時半より小学校校庭に区内分区対抗大野球戦を展開。盛川区長を投手とする本区親爺組を初め8チーム鎬を削ったが中途一時東城ホワイトソックス対庄原全逓組に席を譲った為め準優勝及優勝戦を後日に残しその一回戦を閉じた。成績左の通り。
東城分区小奴可分区連合5=7本区親爺組
油木分区落合分区連合21=26本区土木建築
本区事務9=5補修班
西城分区庄原分区連合1=8本区軌道・巡検組連合
新声新聞1948年(昭和23年)6月1日付
保線区相撲大会
東城保線区管内第一次予選相撲大会は5月28日午前9時より同区相撲場に於て盛大に挙行したが優勝戦は本区C組(生熊・池信・講口)が落合分区(山本・名越・佐藤)を破って優勝し、個人では内田(兄)優勝。五人抜は東城角力倶楽部の岩田優勝した。
新声新聞1948年(昭和23年)6月1日付
保線区の防災保線競技会
東城保線区では東城駅より北20キロ50メートル付近豪雨の為め土砂崩壊線路故障の想定の下に之れが救済工事の大競技会を盛川区長統監のもとに7月5日午前9時より降雨下に展開。庄原・西城・小奴可・落合・東城等の各分区員各々智能と腕をつくして勇敢に競演したが、田中警察署長・渡辺中学校長・時永芸備銀行支店長・妹尾本社(新声新聞)長を初め中学校職員・生徒の見学もあり午後3時半迄最も有意義に実演して一応閉会した。成績発表・講評其他は調査後行う事となる。
新声新聞1948年(昭和23年)7月8日付
東城駅競技会
東城駅では6月末同駅管内各駅係員の手小荷物、7月2,3日改札、同6,7日出札の大競技会を大本氏楼上会場に挙行盛会だった。
新声新聞1948年(昭和23年)7月8日付
保線区軍強し
強剛東城保線区軍Aは11月13日広鉄管理部総合野球大会に比婆郡選抜として柳井に遠征したが、第一回戦に強敵横川軍を15-6で打取り、二回戦更に山口の雄徳山軍を3-2で破り、準優勝戦に入り愈々優勝候補広島管下の最強者と自他共に許す広島第五分会軍と晴の一戦を交えたが利あらず終に11-3で惜敗。優勝の栄冠を五分会軍に譲ったが東城保線軍の地力は遺憾なく発揮された。
新声新聞1948年(昭和23年)11月17日付
盛川区長軽快
公務出広の為め未明暗がり駅に急ぐ途上過って溝に墜落、不幸大怪我した盛川保線区長は幸に手術後の経過良好。近々出勤できるとのこと。明朗区長の速全快祈る。
新声新聞1949年(昭和24年)2月1日付
鉄道寮新築起工式
広島鉄道工業株式会社では東城鉄道寮新式工事の起工式を2月24日午後3時半より東城町金光教会所に於て挙行、新井代表取締役よりの招待に広鉄より中路管理部長初め広鉄幹部・地元より細川町長・両警察署長・駅長・各官公長・新聞社・関係有志・宮田請負人・佐伯棟梁等40余名参席。主人側高谷氏の挨拶に中路管理部長・細川町長・妹尾新聞社長等の祝辞に津田広鉄工業東城出張所長等の斡旋に東城美形10余名酒間にはんべって近来の盛況を呈した。
新声新聞1949年(昭和24年)3月1日付
東城駅助役異動
永年東城駅勤務信望厚かりし安藤信隆助役は坂根駅専務助役に栄転し、後任には嘗て東城駅に勤務おなじみの伊藤稔氏広駅から助役として帰任した。
新声新聞1949年(昭和24年)4月1日付
盛川区長を惜しむ
怪我をして療養中であった東城保線区長盛川剛輔氏は軽快するも癒えず4月13日去って一応広島に還る。明朗東城に印した足跡は大きく各方面より惜しまる。
新声新聞1949年(昭和24年)4月15日付
東城保線区管内大運動会
第3回東城保線区管内大運動会は4月22日新任栃木勝儀区長を会長として午前10時より東城小学校庭に新緑5月の陽光を浴びて挙行。出場チームは管内保線区紅組・同白組・東城・小奴可・落合・油木・西城・庄原各分区及庄原特修班等9チーム、全員約300名で爽快・斬新な運動種目約20を各チーム選手とも何れも自区の名誉にかけて何れ劣らず健闘したが総合得点は終に1等本区白・2等油木・3等庄原保修班・4等東城・5等落合等の順位で夫々国鉄健児の体位のヨサを見せたが当日の呼物各分区選抜の800メートル継走は足と技の競争で、山間部の健脚終に庄原特修班を2位に下し油木分区優勝した。保線区の伝統スポーツ精神を発揮し、所期の目的を達成して会長より数々の賞品等授与あってめでたく閉会したのは午後3時。
新声新聞1949年(昭和24年)6月1日付
鉄道駅員の登山会
道後・坂根間鉄道各駅員は6月26日・27日2日間に亘り浩然の気を養う為め、花の道後山に登山会を催した。
新声新聞1949年(昭和24年)7月1日付
保線区製材工場
東城保線区では事務所北側に東城浅野組出張所請負で立派な製材工場を建て6月27日上棟式を挙げた。
新声新聞1949年(昭和24年)7月1日付
芸備線列車発着時刻変更(広島行1本増発)
芸備線列車発着時刻が9月15日から変更。同時に広島行列車が午前8時32分発、1本増発されて便利となった。即ち、
【東城駅発下り】
5時27分30秒・8時32分・11時38分・16時2分30秒(以上広島直通)
18時35分(十日市迄)
21時38分(混合落合迄)
【東城駅発上り】
6時26分(津山)
8時58分30秒(姫路)13時37分(姫路)
15時25分30秒(津山)
18時11分(新見止)21時(混合新見止)
今度は30秒が付くのがあるから御注意。上りは皆新見乗替岡山行
新声新聞1949年(昭和24年)9月15日付