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帝釈峡国鉄湖畔の家開業関連

  • 執筆者の写真: 小鳥 原
    小鳥 原
  • 2024年7月1日
  • 読了時間: 4分

更新日:2024年9月15日

帝釈峡へ"湖畔の家"

神石町で建設準備進む

名勝帝釈峡神龍湖に"湖畔の家"の建設がかねてから計画され、昨年来各方面との折衝を重ねて来たが、地元神石町では神龍湖畔に庶民会館的な100名収容可能の"湖畔の家"(約60万円の予算)建設を企画、このほど岡山鉄道管理局との折衝によって300万円の予算獲得に成功、建設場所を湖水を眼下に見下ろせる紅葉橋下の神石町永渡地寄を候補地に当て、建設の準備を進めている。

中国新聞1955(昭和30年)年9月7日付


帝釈峡に"湖畔の家"

今月中に500万円で着工

昭和26年以来建設の陳情運動が続けられていた県立公園帝釈峡の国鉄岡山鉄道管理局"湖畔の家"は、いよいよ本月末東城保線区によって着工の運びとなった。湖畔の家は帝釈峡神龍湖紅葉橋(神石郡神石町大字犬瀬)付近の湖畔で紅葉橋・桜橋・矢立不城跡(猿ヶ丘)が一望できる明美の地に建築され、建物は木造3階建(一部2階)本館79.1坪・別棟浴室8.1坪で湖畔に面する3階は総ガラス張り、1階は食堂兼ホール、2・3階が収容人員50名の寝室となっている。総工費500万円で内訳は岡鉄300万円、地元負担が神石町150万円・犬瀬受益業者50万円の支出となっている。

なお完成は明年3月31日の予定となっているが、これを機会に地元では遊覧道路の整備と県立公園道後山"山の家"と帝釈峡"湖畔の家"を結ぶ国鉄バス運行の実現を期待している。

中国新聞1955年(昭和30年)12月20日付


帝釈峡に"湖畔の家"

岡鉄局が450万円で

岡山鉄道管理局では、県立公園帝釈峡犬瀬に国鉄"湖畔の家"を建築中であったが、このほど完成したので、22日午後1時から落成式を行う。

この湖畔の家は紅葉橋から約100m下流の神龍湖畔に総工費450万円で建設されたもので、和室と洋室・その他ホールやベランダ食堂などの設備があり、60人を収容することができる。宿泊料は1泊150円、食事は1食100円程度、同所までは芸備線東城駅からバスで30分

中国新聞1957年(昭和32年)5月21日付


きょうから開業へ

帝釈峡に"国鉄湖畔の家"

【岡山】岡鉄局では渓谷美・紅葉などで年中賑わう帝釈峡=神石郡神石町=に、"国鉄湖畔の家"を建設中だったがこのほど完成、いよいよ22日から開業する。定員64人で1泊150円、食事は1食80~100円。なお28,9日は観光関係者を招いて祝賀式を行う。

産経新聞備後版1957年5月22日付

行楽客まつ帝釈峡

湖畔の家・観光ホテル完成

初夏の新緑・盛夏の避暑・秋の紅葉と四季の変化に富む県立公園帝釈峡の湖畔にはシーズンの訪れとともに遊覧客の受入れ態勢が着々と整えられている。

帝釈峡の中心地犬瀬の紅葉橋下流約150mの湖畔に建築中であった国鉄「湖畔の家」はこのほど総工費450万円で殆ど完成したので、22日から昼間だけの営業を始めたが、配電工事を終って30日から宿泊営業も始める。

この「湖畔の家」は湖に面した側を総ガラスばりにした新形式のもので、岡鉄管内では初めての片流れ三階建(延126坪)階下は調理室・食堂兼ホール・バルコニー、2・3階は船室式2段ベッドで収容人員60人。和室1間(4人)がある。別むねには洗面所と入浴しながら外景が眺められる岩ブロもあり、異彩を放っている。(以下省略)

山陽新聞広島版1957年5月24日付


帝釈峡に"湖畔の家"

=近代的設備を誇るモダン建築=29日に盛大な開業式挙行

県立公園帝釈峡"湖畔の家"(岡山鉄道局)では、29日午後4時半から階下大ホールで開業式を行った。

岡山鉄道局から玉井局長代理八木営業部長・井上主計課長・伊丹・歳常係長・県から衛生部長(代理)・県観光連盟会長(代理)・村上神石町長・細川東城町長や観光・報道関係・地元民など60名余が集合、局長代理八木営業部長のあいさつにはじまり、村上神石町長の経営報告、八木局長代理から感謝状贈呈、細川東城町長・県観光連盟会長・ニコニコバス社長などの祝辞があって5時20分閉会。同30分からレセプションに移り、湖畔の家の将来の発展を祝福して6時盛会裏に散会した。

なお湖畔の家初代経営主任は東城駅佐藤敏男助役。調理主任は、経験豊富な手腕を認められ、神石町の植木貞美氏が担当することに決定した。なお開業式を終った湖畔の家は帝釈峡中心地の犬瀬、紅葉橋から200m下流の樹陰に囲まれた湖畔に30年10月起工式を行い31年1月着工して以来1年9ヵ月を経て完工。とくに神石町は建築用材340石や玄関・岩ブロなどの石材を無償で提供、建築促進に協力し、総工費450万円で落成をみたもの。

同家は木造3階建総ペンキ塗り仕上げで、屋根は特殊金属板ぶき片屋根の新様式で湖畔四季の風致に合致するよう施工されていて、外部は素朴な感じを生かし、内部は近代的センスを存分に取り入れたモダンなものである。

1階は大ホール兼食堂・バルコニー・調理場からなり、2・3階はベッド式客室60畳(定員60名)和室4を有し、渡り廊下によって別むね洗面所・入浴しながら外景がながめられる岩ブロに連絡している。寝具60組も入荷ずみで受け入れ態勢に万全を期し、29日夜は約30名の新客が初泊りをして、さいさきよいスタートを切った。

岡鉄局では夏休暇の林間学校や学生大会・ボートレース・秋の紅葉狩りなどを立案している

感謝状受賞者は次の通り。

三木建設KK(岡山県勝山町)横山文三(神石町)植木貞美(同)赤木八寿人(同)池田訓荘(同)小田久寿男(同)

中国新聞1957年(昭和32年)5月31日付

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