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執筆者の写真小鳥 原

1949年道後山スキー場大盛況関連

ゲレンデの条件は絶好 備北道後山に集うスキーヤー群

広鉄の肝いりの初スキー列車は15日の夜明け4時10分雪の道後山に到着した。4両連結の車からは九州・山口方面からも参加した450余名のスキーヤーがぞろぞろ下車、待機中のバス4台が3回にわたって三坂部落まで送るという大混雑ぶり。山のヒュッテには先客の200名を合せて関係者を戸惑いさせ、旅館不足で地元農家にまで分宿するという道後山はじまっての大盛況で、関係者は廊下ででも仮寝の夢を結ぼうと忙しく整理にあたっている。

積雪量は現在50センチで雪の質は粉雪で満点だ。ゲレンデはブラッシュはなく芝草なので10センチの雪量でもすべれますとの朗報である。三階の新築のヒュッテ側に立てられてある夜間照明塔は500ワットの光量で昼をあざむく。熱心なグループは夜の10時ごろから朝の4時ごろまで精進している。ヘルシンキを夢に描く14,5の豆スキーヤーからマダム・お嬢さんたちも20名ばかり交じっている。珍しいお客は米国原爆傷害委員放射線科長医博アーサー・S・タッカ氏ら3人の一行がどんなところでもよいから泊めてくれと皆といっしょに山の雪を楽しんでいる。

700人に近いスキーヤーにゲレンデは黒豆をまいた様な有様でこれをまかなう料理部屋は十数人の男女が食事の準備に追い回されている。主食は御手持だが2合7勺ではすべれないと銀の盛りめしで1食2合はありそうだ。これもこの日のための心掛けによるものならすきーにのってころがるのも楽ではないようだ。

中国新聞1949年(昭和24年)1月20日付


お断り"飛込み客" 道後山ヒュッテの悲鳴

広鉄の道後山ヒュッテはスキーシーズンに入って連日超満員のため26日から年中定員宿泊を確保することになり、予約宿泊券を持たないものはヒュッテの投宿を断る。

宿泊券の発売は広鉄駅前交通公社事務所または道後山駅で宿泊3日前から売り現地では売らない。したがって26日以降の宿泊券は24日から発売をはじめる。

山へ行けばなんとかなろう組ののん気な"飛込み客"はシャット・アウトされるから注意が肝要と国鉄では語っている。

中国新聞1949年(昭和24年)1月22日付


続々とスキー列車

雪れにに胸躍らせるスキーファンのために広島管理局では広島-道後山間につぎの臨時列車を運転する。

広島発26日23:20道後山着27日4:10。同発30日14;07広島着19:27

なお第1回目のスキー列車にどっと詰めかけたスキーヤーで省営道後山ヒュッテは満員札止めとなり多数のスキーヤーに寒い思いをさせたので、今後スキー列車が運転される場合はあらかじめ宿泊者を制限するため広島駅前交通公社と道後山ヒュッテで宿泊券を130枚発売するが、乗車券は制限しない。

中国新聞1949年(昭和24年)1月24日付

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