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祝三神線全通
中国中央部幹線動脈的の役割

昭和3年7月起工以来9ヶ年の日子を経ていよいよきょう開通する三神線(建設起点新見-備後十日市間96キロ571メートル)は建設費856万1000円を投じてようやく竣工、10日午前11時半から庄原小学校で晴れの開通式が行われ中国中央線として中国地方の運輸交通に一大変革を与えるとともに地方開発の産業路線として華々しくデビューすることとなった、同線は中国の背梁地帯を●るだけに山岳を薹ち断崖をはう所謂渓谷線で最高地は小奴可・八鉾の村界附近海抜約625mに達し沿線至るところ山岳の大景観を有している、停車場22・橋梁65・トンネル14ヶ所、橋梁のうち第一小鳥原川橋梁は橋脚26.6mに及ぶ壮大なものである、また同線は福塩・三江・木次各線開通の暁には名実ともに中国中央部の幹線として動脈的役割をつとめ姫新線を通じて京阪神と連絡する重要線となるものである
備中・備後の先覚者によって鉄道敷設を呼ばれて以来星霜実に30有余年、その間幾度かの燦燦たる苦悩血涙に彩られ測量開始以来13ヶ年・856万円の巨費を投じて漸く全通した三神線は海抜600余メートルの中国地方の高地を歓呼の嵐を浴びて突進する山岳列車の出現するに至ったがその濫觴は日清戦役直前美作国真島郡勝山町から備中国新見町・備後国東城村(現在東城町)を経て西城町に至る軽便鉄道敷設発起出願運動が備中・備後の一部に起こったこれが今日開通する三神線の揺籃でその後この建設要望の声は漸次拡大して明治29年には奴可・三上・恵蘇3郡役所(当時は3郡の役所を一ヶ所に纏めて置く)第一課長田中太三郎から東城村長山田恭平氏にあてて岡山県からの移牒によって、鉄道敷設に関する物資の生産・移出人・旅行者の調査などの準備調査方を命ぜられ鉄道熱がかなり盛んになってきた、斯くて東亜の風雲急を告げ北清事変についで日露開戦となり、内外の情勢で運動は一時沙汰やみとなったが明治41年ごろから広島県双三郡三次町-岡山県阿哲郡新見町の両町を起点とする三神線建設運動が比婆郡東城町を中心とする運動が系統的に表面化し、当時の鉄道院政党方面へ運動を試み、大正7年2月25日第3区選出代議士井上角五郎氏(政友会)ほか県出身の6代議士を紹介者として神石郡永渡村長赤城壽藤太氏ほか40名の関係運動者の名で請願第40回帝国議会に上程したのが運動の具体化した第一歩である、同8年5月14日沿線町村長らをもって多数の同志を統合、時の町長故山本亀吉氏を会長に「伯備線新見町から三次町至る沿道地方における輸送・逓送の便を通じ富源の開発を計るためその間鉄道敷設の速成を促す」との旗印のもとに三神線促進期成同盟会を組織してひたすら政府当局の●●と関心を高めるため幾度も上京して搦め手の一糸乱れぬ猛運動を試みた結果大正9年の第43回臨時議会で広島県関係の三江・木次両線と一緒に通過、政府も鉄道会議招集や上田・大谷の両技師を北備地方に派遣するやらしてようやく力を入れはじめ、同12年度から7ヶ年間の形成事業として建設予算1280万円を計上し、議会を通過して3年目、しかもその年から待望の建設に着手して畳々たる山間に文化の前奏曲がこだまするのだと喜んだのも束の間、同年9月には帝都を騒がせた関東の大震災が突発し、この三神線も出直さねばならぬ運命となり、全く五里霧中となってしまった、大自然の暴君振りには流石の同盟会も手も足も出ない始末となった、同年11月鉄道敷設促進を提唱していた、全国鉄道速成同盟会が東京で緊急大会を開いたので三神線期成同盟会からは急遽元東城町長日伝萬吾氏が一同を代表して上京、同大会に出席帝都復興のため今日までの努力が水泡に帰すると熱誠をこめ、主張貫徹を期するべく同盟会では広島県出身は無い卓蔵・和田彦次郎・早速整爾・望月圭介氏らの有力者をはじめ広島・岡山両県関係の貴衆両院議員に対し、又は政友会・民政党両支部にあらゆる方法・手段で血のにじむほどの猛烈なる請願運動を日夜続け紆余曲折・苦難の道を辿り宿願が達したのは昭和3年3月7日である、即ちこの日神代-備後庄原間50キロを第8工区に分けて神代・備後庄原を起点の両端として米子建設事務所沼田技師が主任になって請負者鉄道工業会社が神代-矢神間の起工を始め同7年3月1日備後庄原を起点として森本組が工事に着手、昨年12月20日備後落合-小奴可間をあまして第6区の備後西城-落合間が開通、今回第5工区の小奴可-備後落合間11キロが工事完了し庄原線(落合-十日市間)の仮の名を捨てここに三神線は全通することとなったのである、思えば過去30余年間渇望して已まず、文明を思慕した先人の希望が幾多当事者の惜みなき苦楽と努力によっていまや陰陽の最中央に戴然と文化の2線を引き、中国交通経済に一新時代を到するとともに地方開発産業の発達に寄与するところ多大のものがあるだろう、又近く完成する三江福塩線と共に地方文化開発に貢献するところ更に甚大であろう。今日輝く三神線の誕生にあたり建設秘談を辿って多幸な前途を祝福する
芸備日日新聞1936年(昭和11年)10月10日付
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